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町名の由来

印刷用ページを表示する更新日:2017年10月23日更新

この辺り一帯は、鎌倉時代から「大井の庄」と呼ばれ、『吾妻鏡』や『新編相模風土記稿』 にもそのことが記されています。
昭和31年の町制施行に際し、歴史的に親しみのある呼び名「大井の庄」にちなみ「大井町」と名付けられました。


町由来の画像

金子・金手

鎌倉時代のはじめ、松田には藤原秀郷の子孫の松田義常が住み、金子は武器を造る鍛冶屋職人が多数いました。
金子・金手の地名はそこから生まれたと考えられます。

市場

金子の中心部には市場があり、商人が住んでいました。現在でも店(たな)、綿屋、上屋、江戸屋などの屋号が残っています。

宮地

八幡社は源氏の守り神。源氏の流れをくむ者が住み、宮地の地名が残っていたと思われます。

馬場(ばっぱ)

大永年間(室町時代)、地頭の安藤源四郎が居住し、馬場がありました。それがそのまま地名として残ってきたと思われます。

坊村

古文書(1759年)によると、最明寺の薬師堂(現在のふれあい館)に坊(僧侶の居所)があったことから、坊村と呼ばれるようになりました。

河原

かつてこの地区は、川音川の水害で田畑に使えず、松やクヌギの林でした。
嘉永7年(1854年)に開墾し、現在の村落ができました。

吉原

嘉永元年(1848年)、農家の二、三男に農地を作らせるため、「葭(よし)の原」と呼ばれたところを開墾しました。
大正12年に耕地整理が始まり、このとき地名を「吉原」に変更しました。

篠窪・柳・赤田・山田

いずれもその地域の植物や地域的特性から名付けられました。
篠窪は篠竹の多い窪地だったことから。
柳は柳の木がたくさんあったことから。
赤田は赤土(関東ローム層)の山中に水を引き、水田を作ったことから。
山田は水田あり、畑あり、山林ありという地形と関わりの多い名称です。

※名前の由来には諸説あるものもあります。